しば

詩・詩論・資料、など

父よ        しば

老人病棟に飛び交う幼児語

いらだちながら

まれに機嫌のいいとき

父はヒゲをそらせる

生気をなくした肌を走るカミソリ

小さなきっかけで薄く血がにじむ

簡単に削がれる薄紙に

いのちの向こうが透けて見える

   2

天気いいよ、と看護師が言う。

起き上がれない父に見えるのは窓だけ

青空ははるかに遠い

若いころに仰いだ満州の空ほどに

   3

ざぶとん抱えて戦車の下に飛び込む

ことの意味が

子どもにはわからなかった

それが俺の人生だったとつぶやいた父の目に

浮かんでいたのは苦い雲

初老に近くなった今、失われた父の人生と声をはじめて悲しむ

   4

半透明の管が病床に伸び

不明瞭な影を落とす

わずかにつなぎとめられたいのち

うすく開かれ乾いたくちびるに

言葉は崩れ去る

その濁りの奥に

まだあの時の意志はあるのか

父よ